その他情報(2006年9月~10月)
障害者の旅行学生ら手伝い
函館で事業始動 観光掘り起こし期待
障害者や高齢者が、介助を受けながら旅行を楽しむサービス事業が函館市で始まった。地元のボランティアグループや学生らが付き添って旅行の案内をするほか、食事や入浴も手伝う。運営を担う観光サービス業の「北海道コンシュルジュ」(函館市)は、新しい観光事業につなげていきたい考えだ。(函館支局・佐藤靖)
最初のツアー客が訪れたのは今月9日。NPO法人「日本アビリティーズ協会」(東京)が首都圏や九州から募集した約20人が、函館や大沼の観光地を訪れた。約30人が付き添い、12日まで道南旅行を楽しんだ。
同市などでつくる函館雇用創造促進協議会が国の委託を受け、北海道コンシェルジュが運営する。観光ガイドの知識や介助技術を備えた人材を育て、福祉事業者などの事業拡大に結びつけ雇用につなげたいという。
日本アビリティーズ協会の萩原直三副会長は「みんな函館の人情に、感激している。経済的に余裕のある障害者には旅行をしたいという需要があるので、経済効果にもつながる」と話す。
北海道コンシェルジュでは、旅行を積み重ねてシステムを作り上げていくという。関谷隆常務「いい結果の残し、ロコミなどで広まって新しい観光の掘り起こしになれば」と期待する。
介助者として参加した道教大函館校2年、木村絢子さん(21)は「いい印象を持って帰ってもらうため、車いすの使い方などを学びたい」。と話している。
朝日新聞-2006.10.17
採択近づいた障害者権利条約
当事者の願い結実 国連委合意、日本も批准へ
国連の障害者権利条約アドホック委員会で交渉していた条約案が、8月25日、加盟国間で合意に達しました。年内には正式に採択される見通しとなり、日本政府はこれを批准する姿勢です。条約とは、国内の法律よりも優先される国際法。このため、条約と国内法に整合性があるかどうかが今後の焦点となります。関係法の改正や新法制定といった動きも出てきます。少しでもこの条約を身近なものとして想像してもらえるよう、現地での協議の様子や当事者が期待していることを紹介します。
国際協議の難しさ
ニューヨークの国連本部で8月14日から25日まで開かれていた第8回障害者権利条約アドホック委員会で、最終日、条約案がまとまった。会議終了予定の午後6時を過ぎ、午後8時になってやっとだった。
ドン・マッケイ議長(ニュージーランド大使)は繰り返し「なんとしても今会期中にまとめる。もう議論の蒸し返しを受け付ける段階にはない」という強い意志を示し、議事を進めた。
公式の会議で議論が紛糾しては時間がもったいないからと、意見の対立する国どうしが個別に集まり、事前に交渉を済ませておく手法も使われた。
しかし各国政府の間では「本当に今回まとまるだろうか」との見方もあった。最終日になっても「今日中に合意に達するのは無理かもしれない」との声がNGOへ漏れ渡った。
最終的に合意に達したということは、それだけ連日連夜タイトな交渉が行われたということになる。
今会合は、第1回アドホック委員会が2002年7月に開かれて以来、8回目。「最終回の開催になるかもしれない」と合意に期待を寄せていたNGOが世界中から集まり、議場は満杯に。NGOの登録者だけで800人という多さだ。
ただ、世界の国々が集まって協議する難しさは、否応無しに時間を消費した。
象徴的な交渉事例をいくつか挙げてみよう。
第23条「家庭および家庭の尊重」では「障害のある人がそのセクシャリティーを経験し」という文言を、第25条「健康」では「性と生殖に関する保健サービス」という文言を入れることに反対の国々があった。
イスラム教やキリスト教の国々にとっては「婚前交渉を良しとしない」といった考え方があるからだ。
マッケイ議長は「障害のある人がこの分野で差別されないために」と指揮をとったが、合意を取り付けるには修正しかなかった。
第11条「危険のある状況」では、具体的にどのような状況を指すのかを巡って紛糾。アラブ諸国は「外国からの占領」を明記するよう求めた。戦争と政治的課題を物語ったものだ。
イスラエルやアメリカ、日本はこの例示に反対したが、最終的には投票により圧倒的多数の国が「明記する」を支持し、前文に入れることで決着をつけた。
「国際的な条約履行体制を作る」という第34条については、既存の人権条約の監視報告が年々遅れている実態があり、それに費やす労力を思って二の足を踏む国もあった。
これは「この条約独自の機構を持たないと、他の人権条約より格下扱いになってしまう」という多くの国々の意見に後押しされ、設置されることになった。
条約を作りたいという目的は一致する以上、各国は、あるところでは妥協し、あるところでは他国に学んで自国の姿勢を変更する柔軟性を求められた。
「他国に学ぶ」という視点で見れば、日本にとって大きな変更はインクルーシブ(包括的)教育の流れに乗ったことだろう。
条約案が比較的短い年数で合意に至った背景として、NGOの存在は際だつ。合言葉は「NOTHINGABOUTUSWITHOUTUS」(私たちに抜きに、私たちのことを決めるな)だ。
アドホック委員会は「各国政府はNGOと積極的に協議し、政府代表団に当事者を入れるべき」とし、当事者参画を約束している。日本からは、全国規模の障害者団体が連携して立ち上げた「日本障害フォーラム」(JDF)が参加し、東俊裕弁護士を政府団へ顧問として送り込んだ。
JDFの金政玉・条約推進委員長は「NGO参画の重要な前例になった。国際的な障害者NGOによるロビー活動の1番の成果。条約案のベースができたのもNGOのインプットがあったからこそ」と評価する。
今後は、国内法に条約の趣旨を反映させるため、「政府に対して『ここが条約に反する』と説得力を持って示せるよう取り組みたい」としている。
一方、日本政府代表団の団長、外務省の鈴木誉里子・人権人道課主席事務官は、閉会後「条約交渉の本会合にあれだけのNGOが存在したのは特徴的だった。しかもNGOから文書提案され、政府はそれを取り入れ、自らの提案として投げかけた。JDC(国際障害コーカス)の提案に賛成する形で取り上げたこともあった。NGOの貢献は大きい」と語った。
東顧問の存在、本会合前に持ったJDFとの意見交換会についても、鈴木氏は「政府の態度や提案に影響を与えた」とした。
ところで、いくら国連や日本政府がNGOの参加を歓迎しても、当事者にとって渡航費用は苦しい現実問題。言葉の壁があるから通訳者も必要だ。そこで国内の助成財団がJDFを応援した点も1つの実績だ。
条約案が合意に達した時、会場は総立ちとなり、拍手に沸いた。議論を進めるため「最大公約数」を取らざるを得ない場面もあったが、各国政府はNGOへ賛辞を、NGOは議長や政府へ感謝の言葉を贈った。
マッケイ議長自身は「当事者の顔が見える条約案になったと思う」とした。
<解説>
今回合意に至った条約案は、文言チェックなどの細かな調整が済んでいない。調整後に委員会の正式な条約案として採択する作業を残している。あくまでも、今はまだアドホック委員会による草案の段階だ。
アドホック委員会で条約案が採択されしだい、9月から開かれている第61回国連総会へ提案され、総会での採択を待つ。会期中の採択が目指されているので、年内には条約の内容が確定する見通しだ。
確定後は、各国の代表者が条約文を確認した証拠として「署名」を行うが、署名後、国に持ち帰って「批准」する必要がある。
批准とは、国家が条約内容に拘束されることに同意する最終の確認行為。日本の場合、批准するには国会の承認を得なければならないと憲法に規程がある。その点、日本政府も「国連障害者の権利条約推進議員連盟」も、すでに批准に取り組む姿勢を示している。
条約は20カ国が批准した段階で発効、早ければ2008年ごろと見られる。
人権条約には、国際人権規約(1966年採択)、女性差別撤廃条約(79年採択)、児童の権利条約(89年採択)などがある。障害者については当事者が国連で87年に提案して以来の懸案であった。
福祉新聞-2006.09.18
障害者権利条約国連委で合意 年内に採択の見直し
第8回会合 日本、教育政策の転換も
第8回障害者権利条約アドホック委員会が8月14日から25日まで、ニューヨークの国連本部で開かれ、条約案が合意に達した。今後、細かな文言のチェックや公用語への翻訳作業などを経て、今秋にも正式に委員会案として採択される。これを国連総会に諮り、年内には条約案が採択される見直しとなった。日本政府も条約を批准する意向を示している。批准されれば条約がインクルーシブ教育を潮流とした点、障害者が他者と同等の権利を得られるよう合理的配慮をうたった点などは特に、国内法制度の見直しに影響を与えることになる。
障害者権利条約を作るために、国連にアドホック委員会が設置され、本格的な議論が始まったのは2002年。年に1~2回のペースで加盟国が集まりながら協議を続け、5年越しの交渉が今回まとまった。
各国から障害当事者がNGOとして参画し発言もしてきたことや、そうした協議スタイルが人権条約としては異例の早期妥結を導いた点が特長だ。また、当事者が政府代表団にも参加。日本では弁護士の東俊裕氏が顧問として就いている。
今回合意に至った条約案は、前文と本文50条、付属文書から成る。
条約の真髄は、すべての人に保障される人権が障害者にも等しく保障され、障害者の社会参加を進めるよう努めるというもの。例えば、移動や情報入手の場面で障害者が不利にならないよう環境を整備すること、障害児者が教育を受ける機会を平等に持てるようにすること、雇用における差別を禁止することなどが挙げられる。
特に教育に関する条文は、日本の教育政策を転換させることになりそうだ。
今年1月に開かれた第7回アドホック委員会開催時点では、日本政府はインクルーシブ教育に消極的な姿勢だった。現行では障害の有無で学校を分けているからだ。しかし今回は協議の結果、日本政府も世界の潮流に乗った。
ただ、こうしたことが実質的に現場で担保されるかどうかが今後のカギとなる。このため条約案には、締約国がそれぞれ国内に監視機関を設けるほか、国際的なモニタリング機関も設置することが規定されている。
条約案は国連総会で採択され、各国政府が署名した後、20カ国が批准した時点で発効する。
なお、今会合には「国連障害者の権利条約推進議員連盟」の原口一博副会長も参加。「条約がまとまればすぐ批准できるよう強く働きかける。超党派の議連なのでコンセンサスは取りやすいと思う。条約は『教育』『雇用』などの分野では特に国内法へ影響を与えるだろうし、障害者差別禁止法を作ることも考えなければならない」としている(現地取材による特集号を予定しています)
※解説=アドホック(ADHOC)…ラテン語に由来し、「特にこのための」の意。特定の目的で委員会を設置する時などに使われる用語。
福祉新聞-2006.09.04