●障害者ら暮らす「寧楽共働学舎」焼失
施設再建へ支援の輪
北海道北部の小平町。その山あいに、障害者らと支援するスタッフが共同生活をする「寧楽共働学舎」がある。全国に6か所ある共働学舎のひとつで、公的助成を受けずに畑を耕し、豚を育て、約20人が30年近く一緒に暮らしてきた。だが5月、火災で住宅棟5棟のうち3棟が焼失、障害者らは仮設のプレハブなどでの生活を余儀なくされている。そんな窮状に、再建のための支援の輪が拡がり始めている。(中沢滋人)
「火が出た」。5月6日午前8時すぎ。学舎での朝食後、自室で休憩していた代表の福沢和雄さん(58)は、内線電話の連絡で消化器を手に火元の部屋に駆けつけた。だが、火はすでに天井まで燃え広がっていた。けが人はなかったが、福沢さんは消防車の傍らで、こつこつ建て増しした3棟、約764平方メートルが焼け落ちるのを見つめた。
東京生まれの福沢さんが小平町にやってきたのは77年7月。学生時代の恩師で長野県小谷村で信州共働学舎を営む元教員、宮嶋真一郎さん(83)に勧められた。「小平で支援者から土地を借りられる。そこで共働学舎をやらないか」。妻の裕子さん(51)や仲間ら数人とともに、ササやぶをブルドーザーで整地し、建物を建てた。学舎は、障害があったり社会生活を送るのが難しかったりする人たちが自活することを目指している。働こうとしない人もいたが、福沢さんらは「働けない人も、働けない理由や意味がある。お互いが足りないところを補い合えば、いい関係ができる」との信念で活動。現在は地元出身者のほか、愛知県や群馬県から来た10人ほどと福沢さんらスタッフら計21人が、米やジャガイモなどを生産、鶏350羽、豚180頭を飼育し、卵やソーセージなどを近隣に届けて生計を立てている。
福沢さんは95年、五男の玄君(当時6歳)を用水路に転落する事故で亡くした。部屋に置いていたその遺骨が、焼け跡から見つかった。2度焼かれた遺骨を見て「(今回は)誰が亡くなったわけではない。燃えたのはモノだ。また作ればいい」という気持ちになったという。
北海道は夏が短く、福沢さんらは寒くなる前に立て直す計画だが、費用は1億円を超す見込み。信州共働学舎などからの援助で一部めどがついたが、十分ではないという。
北海道・小平 医師ら募金呼びかけ
この事態に6月、札幌市の医師丸山淳士さん(67)らが呼びかけ人になり「寧楽の共働学舎を応援する会」を設立、募金活動を始めた。全国からの問い合わせが相次いでおり、7月27日には同市北区の札幌エルプラザホールで福沢さんらを招き支援の講演会も開かれる。「学舎の活動は尊い。本格的な施設再興の一助になれば」と丸山さん。
問い合わせは「応援する会」中里準治さんにファクス(011・613・3017)で。ホームページ(http:/www.k2.dion.ne.jp/~contents/)もある。
全国6ヵ所 チーズ作りに国際的評価
「共働学舎」は宮嶋さんが73年に小谷村で始めた。現在、北海道の小平町や新得町、東京都東久留米市など6カ所で障害者ら百数十人が自主独立の生活をしている。公的な資金の支援は受けず、生産した食品の販売や、趣旨に賛同する全国約4千人の会員の会費などをもとに運営している。宮嶋さんは「自労自治生活」の教育で知られる自由学園(東京都)の出身で「共働学舎で苦労を楽しんでいます」と話す。
新得町の共働学舎は92年にチーズ工房を作り、04年には風味付けソフトタイプの「さくら」が、スイスで開催された国際コンテストで金メダルを獲得、国際的にも評価されている。
朝日新聞 2005.7.22(金)
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